遠距離介護で感じたこと。

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感謝の気持ち

「感謝の気持ちを持つと、そこに人と人との温かいつながりが生まれる・・・・」

そんな気がします。
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by aaaya123 | 2007-01-29 13:58 | 思うこと | Comments(0)

夢をみた

父のお見舞いへ行くと父が病院のベッドに座って周りの患者さん達と話している
夢を見ました。

ちょっとかすれた声だったけれど、患者さんと笑顔で楽しそうに話しをしている父の
夢でした。
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by aaaya123 | 2007-01-22 14:15 | | Comments(0)

親子

先日の出来事です。

父と同じ病室には、毎日ご主人の看病にいらしている奥さまがいるのですが、
その方は、【私と一緒にお見舞いに来ている母】と【一人でお見舞いに来ている母】の
どちらの母も見ています。

先日私が一人で父の病院へ行ったとき、その奥さまに、
数日前に母が一人で父の病院へ来たけれど、あなたと一緒の時とは全く別人の様だったと
言われました。

私と一緒に居ない時の母はとても穏やかだという事はある程度知っていましたが、
そんなに違うとは想像していませんでした。

恐らく娘の私が一緒だと甘えてしまうというか、原因不明の難病の発病や
頼りにしていた父の突然の病気・・・・親類縁者は遠方で娘は結婚している。。
これらの現状にいつも大きな不安を抱えている状態の母は、そのやり場の無い気持ちを
(攻撃的な言葉で)全て私に向けているのだろうと感じていました。

もちろん子供っぽい所もある母なので、「あなたも私と同じ病気になればいいのに」とか
「自分に似た子が欲しかった」などと本心で無いにしても言われると、
やっぱり傷ついてしまって優しい言葉がかけられない自分も確かに存在していました。

その御夫婦にはお子さんがいらっしゃらないそうで、自分達にも子供がいたら・・・
と思ったりもするのよと言っていました。

この奥さまの話を聞いていて、昔の諸々の出来事や母の辛辣な言葉に傷ついていた私は
どこかで 「関わりたくない」 と自分で自分を防御していたなと思います。
その気持ちにとっくに気づいていたけれど、気がつかないふりをしていた部分もあったと
思います。

でも、そんな過ぎた事や乱暴な言葉にイチイチとらわれている自分にも嫌気がさしていた
のです。。。。

父の病院を後にして、実家へ向かう車の中で、私はできるだけ優しく母に接してみようと
思っていました。

実家に行くと、もちろんいつもと変わらずに不満や愚痴をこぼす母に私は、
「離れて暮らしているし、しょっちゅう来てあげられないけれど、ちゃんとお父さんとお母さん
の事を考えているからわかってね。だから安心してね。」と、言えました。
その言葉を聞いた母は泣いていました。

私も泣きたくなりました。
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by aaaya123 | 2007-01-22 10:55 | | Comments(0)

泣かない

最近は父の病室へお見舞いに行っても、涙を流さないで居られるようになりました。

今までは本当に泣きたいのは私ではなく 【父】 だと自分に言い聞かせて涙をこらえて
いました。

でもこの頃では、父に明るい笑顔で接して「お父さん大丈夫。何も心配いらないよ!!」
と伝える事が私のするべきことなんだと。(ちょっと大袈裟だけど)

お父さんにいっぱい元気をあげるために笑顔でいよう、と思えるようになってきました。
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by aaaya123 | 2007-01-21 13:15 | | Comments(0)

がんばりすぎない

以前にみつけた記事です。
その当時、とても励まされた覚えがあります。(以下抜粋引用)

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

私を見る人たちの目つきや言葉遣いが、私の反骨精神をあおった。

「かわいそう」「不運だね」という目つき。

「かわいそうに」「がんばってね」という表面的な言葉。

どちらの言葉も、発言した者には関係ないという見えない線が1本あるのをひしひし感じる。

実際この言葉で励まされたことはなかった。

身内ですら「がんばらなきゃダメ、弱音を吐くな。あなたがしっかりしないでどうするの。
仕事なんかさっさと辞めなさい」と命令した。

がんばってね。

がんばってね。

他に言葉がないのかと不思議でならなかったが、皆ハンを押したようにこう言った。
この言葉が、私を励まさず萎えさせたとは知らないだろう。

皆が、がんばってと繰り返す中、Tさんが「がんばらないでね」と言った。
聞き間違えたのだろうと呆然とする私に、「がんばらないようにと言ったの」とTさん。

そう言われた後、いつもの柔和な笑顔で私を包み込んでくれた。
10000の「がんばって」より1の「がんばらないで」に私の心が潤って勇気がみなぎり始めた。

がんばらずになら、やれるかもしれない。
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by aaaya123 | 2007-01-18 17:19 | 思うこと | Comments(2)

通い合う心

年が明けて数日後、夫と父の病院へ行ってきました。

父は、夫の存在に気付くと今までに見たことがない程、しっかりとした様子で
夫を見つめました。

夫は父に【大丈夫ですから。安心してください。】と言ってくれました。

それを聞いても目をそらすことなく、じっと夫を見つめ続けている父の姿がありました。


『言葉がなくても心が通い合う』という事を初めて知ったような気がしました。
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by aaaya123 | 2007-01-17 11:23 | | Comments(0)

年末年始2

昨年(2006)の夏、母の実家でお祝い事があり一緒に帰省した時にも、トイレ時の
簡単な介助をしたのだけれど、そのときよりも動きが少しだけ悪いように見えた。

母は話し方を気にしているけれど、私自身そちらの方はあまり気にならないのだが・・・。
(少し不明瞭な程度だと思う)

とにかく、サッサッと機敏に動き、口も達者な人だったので、思うように行かない全ての事が
もどかしくてならないのだろう。

もっと優しくしてあげたいのだが、なぜか私といると辛辣な言葉をぶつける母。。

やはり私にも一因はあるのだろう。

父が元気なら・・・・・・・・ と思わずにはいられないが、きっとこの壁を乗り越えられると
信じていこう。

それは切っても切れない血縁関係だから。。。
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by aaaya123 | 2007-01-09 12:50 | | Comments(0)

年末年始1

12月31日から、1泊2日で母と近くのホテルへ行ってきました。
楽しんでもらおうと思って出かけたのですが、母の不安やつらさ、父への今までの不満等を
聞くだけの時間となってしまいました。
(私は父への不満の内容や私が誕生した為に・・・・・・この辺りの事がどうしても
つらくて受け入れられなかった。もちろん、私が父に感じる事と母が夫として感じる
ことには違いはたくさんあるだろうとは思うのだが、それにしても。。。
だけれども全て全て全て、病気が言わせてるのだろうと思うことにした。)

疑心暗鬼が強いのか、「誰かのさしがねだろう、あなたがこんな事する訳がない」
とまで言われてしまいました。
(確かにケアマネさんからの提案ではありました)

何とか明るい方向へ話を持っていこうと頑張ってみたのですが、私自身の器が小さい為?
なかなか上手く行かない状態でした。

「ベッドが怖いから一晩中起きている、来なきゃよかった。」
と、本心ではなかったにしろ言われた時には、もう完全に疲れきっていたと思います。

父が上手くバランスをとってくれていたから成り立っていた3人家族だったんだなぁ
と改めて痛感した夜でした。



翌日の1月1日は、父の病院へ行ってきました。
父は、ただ涙を流していました。

同じ部屋に、父より若い方が移動していました。
父と同じ脳出血だそうです。子供さんがいらっしゃらないのだと言いながら、
奥様が献身的に介護をされていました。

両親が病気になってからは「明るく、元気に元気に」をモットーにしている私ですが
なかなかこたえた年末年始でありました。

でも、本当に辛くて不安で大変なのは両親なんだと改めて強く感じた年末年始でもありました。
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by aaaya123 | 2007-01-09 12:32 | | Comments(0)



脊髄小脳変性症の母を持つ40代1人娘の記録デス。 時系列になっていますので古い内容からご覧下さい。
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