遠距離介護で感じたこと。

帰省-②

帰省中でも、介護保険のサービスを受ける事ができる。
こちらで利用していたデイケア・歩行器具のレンタルを帰省先でも変わらず利用できる。

ケアマネージャーと帰省先の施設、介護用品会社との連携が必要なのは
言うまでもないが、すばやい対応をしていただけたので、不自由なく過ごせているようだ。
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# by aaaya123 | 2006-08-23 09:35 |

帰省-①

母は実家へ3週間程の予定で帰省している。
母の両親(80代と90代)・姉夫婦・妹がいるので、発病してから
定期的に行っていた帰省だったが、父が病になって少し状況が変わった。

今までは "父が待っている" からと自分から帰ろうという気持ちがあっただろうが、
"帰っても父がいない" のならば、「帰りたくない」と言い出すのではないか?
そうなったら困る・・・と。
変な期待を持って来るのであれば、来てもらっては困ると言うのである。

実際、病気の母まで面倒を見ることはできないだろうと言う事は理解できるが、私から
この件を母に伝えて欲しいと言われた時には、正直、つらかった。。

母にはどこかで、そうしたいという気持ちがあったし、それを私も知っていたから。

最終的には母ももちろん理解をしたので、今回の帰省が実現した。

思い通りにはならない、仕方が無い事が多いことを理解していくしかないのだ。
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# by aaaya123 | 2006-08-22 17:20 |

前進

母が難病の宣告をうけてから4年近くが経とうしているが、
もともと母は父に精神的に依存していたので、この事実を
100%受け入れる事をしなかったし、その必要もなかった。

父がほとんどの事を背負ったので、母は悲しんだり、怒ったり、恨んだり・・・
そういう感情を父にぶつけているだけでよかった。

そんな中、病が父を襲った。

今まで、父が背負ってくれていた事が全て母にふりかかってくる。
認めたくない現実がつきつけられる。。。

とてもつらくて、受け入れたくなくて、誰かに今まで父が母にしていたようにして欲しくて
娘の私に依存しはじめる。
遠方にいる母の老父母や疎遠な実姉にまで、面倒を見て欲しいと言い出す。

もちろん、私も出来る範囲で一生懸命頑張った。
そして、そんな中での妊娠-流産・・・・・

母もつらくて悲しい中、いろんな事を考えて少しずつ現状を受け入れるという事をしながら
他人のお世話になりながらでも、自分でできる事は自分でやり
できるだけ長く今まで通りの生活をしていこうという気持ちが固まったようだった。

母も私も強くなった。

これからもまわりの方に感謝して、少しずついろんな事を受け入れて、頑張っていこう。
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# by aaaya123 | 2006-08-04 14:22 | 思うこと

感謝する

いろんな人の助けや協力があって、今の生活が成り立っていると思います。
本当にただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さん、ありがとうございます。

そしてこれからずっと「感謝する」気持ちを忘れずに
生活していきたいと思っています。
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# by aaaya123 | 2006-08-02 13:58 | 思うこと

お父さん、

療養病院へ転院してからのほうが、父は何だか意識がはっきりしているような気がする。
リハビリは、もしかしたら父にとっては苦痛だったのかもしれない。

今日は夫と一緒にお見舞いへ行った。

私が呼びかけると今まで遠い目をしていた父が、私と目を合わせる。
私の目をしっかりと見つめる父。
言葉を発する事も、自由に体を動かす事もできないけれど、でも、
何だか父の気持ちがわかったような気がした。
それが正しい気持ちかどうかはわからないけれど。。。

大好きな読書と将棋を気が済むまでずっとずっとずっと、している

そんな夢をみていて欲しい・・・
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# by aaaya123 | 2006-07-30 22:16 |

自慢の父

父は娘の私が言うのもなんですが、とても優しく穏やかな人です。

私が小さい頃は可哀想だからと、捨てられている犬や猫を拾ってきていました。
雨の中歩いている人をみかけると、見ず知らずの人でも車に乗せて送っていって
あげる、近所の小学生達が「おじさんいる?」って遊びに来ちゃう、そんな人です。

だから父は、近所の方にとても頼りにされていたし、良い関係を築いていました。

その父が病気になってしまったと知った時、ご近所の方は力になりたいって
思ってくれたんだろうと思っています。


日々感謝です。
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# by aaaya123 | 2006-07-25 10:15 |

私事

私事ですが・・・・
実は父が倒れてから1ヶ月半後に、初めての妊娠がわかりました。
辛い出来事ばかりが続いたので本当に本当に、とても嬉しかった。

しかし、8週目に稽留流産と診断されました。
天国から地獄とはこのことを言うんだなぁと思ったものでした。。

想像以上に辛い経験でしたが、主人やたくさんの方の温かい支えの中、
手術も無事に終える事ができました。
今は精神的にもすっかり落ち着きました。

また赤ちゃんに逢える日を、主人と仲良く明るく過ごしながら待とうと思っています。

少しの間だったけど、私をお母さんに選んでくれてくれてありがとうね☆
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# by aaaya123 | 2006-07-24 12:57 | つれづれ

母の日常

退院してから3週間。
母の独居生活もだいぶペースがつかめてきた様子。
ケアマネさんやヘルパーさんとの人間関係も築けてきているようだし
ご近所の方にも親切にしてもらいどうにかやれているらしい。

病気を持ちながら、本当に1人でよく頑張っていると思います。。
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# by aaaya123 | 2006-07-24 12:49 |

父の転院 2

父が長期で療養できる病院がみつかったと入院中のリハビリ病院から連絡があってから
わずか10日足らずで転院できることとなった。
地元でも割と評判の良い病院だった事と実際に行ってみて感じたスタッフのあたたかさ等からこの病院でお世話になる事を決めた。

発症から6ヶ月間はリハビリ期間となっているが、3ヶ月が過ぎた時点でこれ以上の大きな
回復を望むのは難しいという診断を受け、「療養型の病床が見つかったら転院を」
とすすめられてはいたが、こんなに早く物事が運ぶとは正直思っていなかった。

この病院への転院を決めてからも、あと3ヶ月間はリハビリが受けられるのだから、
もっとリハビリをした方がよいのではないか?? と、悩んだりもしたけれど、
いま父に必要なのは清潔で快適な場所での休息な気がしているので、この決断で
よかったと思っている。。。。

転院当日も病院のスタッフの方にも優しく温かく迎えてもらえた。
安心して父をお任せできる場所がみつかり、私自身も少し安堵している。
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# by aaaya123 | 2006-07-20 09:52 |

父の転院 1

先日、父の転院を受け入れてくれる療養病床がある総合病院へ行ってきた。
相談室の方の対応もよかったし、面会時間も6:30AM~21:00PM迄行っているという。

療養病棟は、清潔で明るく医師がナースステーションに常時待機している体制をとっている
との事だった。
私が見学している間も、看護師やヘルパーさんがキビキビと働いている様子が見られたし、
この病院であれば父をしっかり診てもらえるのではないかと思ったのでお願いする事にした。

これ以上の回復が望めないのであれば、父がいかに快適に過ごせるか・・・・
望む事は、それだけです。
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# by aaaya123 | 2006-07-18 09:39 |

デイケア

母のデイケア初日に事件があった。

入浴介助者に男性がいたという事で激怒をしたらしい。
もともと潔癖な性格な上に、思った事をストレートに発してしまう為に周りの人に誤解される
事が多かったのだが・・・・

ケアマネージャーさんはもちろん誰からの謝罪も受けず、遂にはケアマネさんから
「担当をやめさせてもらってもいいのだか」という旨の電話が私の所まで入る始末。。。

入浴介助が必要な方はほとんどが高齢者の方なので、男性がいる事に対して
抵抗がないのが現状なのだろうが、母はまだ50代なのでこの反応は当然とは思う。
でも同じことを言うのでも言い方というのもあるのではないかと・・・
(入浴介助は体力もいるので男性スタッフが男女問わず介助するのが現状)

入浴介助は女性スタッフのみというデイケア先に変更して一件落着。

いつも母の後ろ盾になってくれた父はもういないのだから、
これからは母が自分でいろいろな人達と関っていかなくてはならない現実を受け入れ
しっかり、人間関係を築いていって欲しい。
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# by aaaya123 | 2006-07-12 17:43 |

母の退院

先日母が退院した。
独居生活をするにあたり、歩行器・車椅子・トイレ手すりのレンタルをし、
布団からベッドへと生活パターンを変えた。

ケアマネージャーさんやヘルパーさん達の協力があって、このような生活ができる
と思っています。本当に感謝でいっぱいです。
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# by aaaya123 | 2006-07-03 15:10 |

プランについて

先日、母が病院を一時外出し自宅へ戻った。
今後独居となる母のケアプランの相談をケアマネージャーとするためだ。
母にとっては2ヶ月ぶりの我が家。

ケアマネージャーとの打ち合わせで、
デイケアを2日、ヘルパー3日か4日というプランになりそうだ。
本当はデイケアをもう1日増やしたいのだが、母の介護度が低い為に
使える単位が限られてしまっている。

食事はヘルパーさん。
掃除、洗濯、買い物もヘルパーさん。
ゴミ出しは近所の方々がやってくれるそう。

試行錯誤しながら母にあったプランを見つけられるといいと思っている。
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# by aaaya123 | 2006-06-13 17:02 |

次のステップへ

母はリハビリ病院を退院後、自宅へ戻り独居生活をはじめる。

父は実家近くにある長期療養型病院へ転院となる予定。

先のことは考えず、今しなくてはならない事をひとつひとつ・・・・こなしていこう。
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# by aaaya123 | 2006-06-06 14:56 | 両親

父のリハビリ

横臥状態が長く、体を2ヶ月近くも動かさなかった父にとって、理学療法士の方に
膝を曲げてもらったり、足をマッサージしてもらう事はとても苦痛のようだ。

「つらいですか?」の問いかけに、顔を歪めて答える父をみているのはつらいが、
[廃用症候群]を防ぐためには仕方が無い事だと言う。

脳出血を起こした当初は安静が必要なので、ベッドに寝たまま手足を動かさない期間が
生まれる。
この安静期間に、体を使わないことによる筋肉のやせほそり(萎縮)が起こってくる。
これが[廃用症候群]と言われるものだ。

いったん筋肉の萎縮がはじまると回復するには多くの時間がかかり、時には
回復しなくなることもあるという。

父は、急性期の早い時期からベッド上でリハビリをはじめていたので、あまり拘縮はない
との事だったが、当初は趣味の将棋を打つような指の動きをしきりにしていたのだが、
最近はあまりしなくなり空をみつめて考え事をしているような状態が多い気がする。

父が何を思い、何を考えているのか知る事ができたらいいな・・・。
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# by aaaya123 | 2006-06-05 12:45 |

母のリハビリ

右大腿骨骨折という大きな怪我だったが、手術も無事成功し、リハビリも順調に
進んでいる。

骨折のリハビリには積極的で、伝い歩きができるようになってきたが、[作業療法]には
消極的だという。

脊髄小脳変性症の進行に伴い、字を書いたりする手先を使う動作が難しくなりつつ
あるので、こちらのリハビリもしているのだが、「やっても仕方が無い」と言う
母の言葉を聞くと何も言えなくなってしまう。

諦めずに、前向きに頑張って欲しいと願っているが、
母の状況を思うと言葉が上手くかけられない私がいる。
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# by aaaya123 | 2006-06-05 12:45 |

「受け入れる」という事

この現実を「受け入れる」事ができた時、心に余裕が生まれた。

心に余裕が生まれたら、前向きに物事が考えられるようになった。

心に余裕が無いと、状況を変えることもできないのだと思った。
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# by aaaya123 | 2006-06-05 12:45 | 思うこと

願う

私は父の所へ行くと、いつも耳元でたくさん話をする。

父はかすかに頷いたり首を左右に動かすので、きっと私の話がわかっているんだと思う。

時々、何かを考えるような不思議そうな顔をしたりもする。
だから父に病気のことを少しだけ話す。

それにも黙ってかすかに頷く。

私がもっと早く変調に気付いてあげれば、
私がもっと気遣ってあげれば、と思わずにはいられない。

いつも私を温かく見守っていてくれた、私の幸せを一番に願ってくれていたお父さん。

いてくれるだけでそれでいい。
でも、もしも願いが叶うなら・・・・・・・・・・・。

今日も明日も祈り続けます。
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# by aaaya123 | 2006-06-02 14:19 |

大変だね

「大変だね」

今の私のおかれている状況を知ると皆、私にそう言う。

でも私はこの言葉があまり好きではない。

確かにとても大変な事が起きてしまったと思う。
私がキーパーソンとなり、行動をしなくてはならない事がたくさんあるのは事実。

ただ、一番大変なのは、病気をした「父」であり「母」なのだ。

私はやれることをするだけの存在なのだ。
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# by aaaya123 | 2006-06-02 14:19 | 思うこと

4/9(Sun) 現実

病院へ行く準備をしていると父の入院している病院から電話がかかってきた。
「奥さんが病院へ来られているのですが・・・・」

明日迎えに来るから一緒に病院へ行こう、と入院準備の為自宅へ戻ったのだが
父の様態が気になった母は1人でタクシーを呼び病院へ向かったようだった。
急いで夫と病院へ向かう。

担当看護師に父との面会は私が到着してからにしてもらうようお願いしていた為
母は待ちくたびれていたようだった。

昨日"大丈夫だと思う"と言ってしまったが、夫にも医師にも
「病気のお母さんには酷かもしれないが、本当の事を話すべき」と言われ、
私自身もそう感じていたので到着してからすぐに母に話をした。

ただ父の姿を見るまでは納得できない様子だったので、すぐに面会をさせてもらった。

とても悲しい時間だった・・・・・

父の親戚一同も駆けつけてくれた。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 | 両親



脊髄小脳変性症の母を持つ40代1人娘の記録デス。 時系列になっていますので古い内容からご覧下さい。
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