遠距離介護で感じたこと。

4/10(Mon) 奇跡

会社に1週間の休暇をもらった。

この日が発症から48時間後。
とにかくこの日を乗り越えてほしい気持ちだけだった。

友人の「お父さんは強い人だから大丈夫だよ」という言葉が心強かった。

そして父はやはりとても強い人だったので、この危機を乗り切った。

脳幹出血の場合は、死に至るか植物状態になってしまうケースが多いという話だった
ので、奇跡に近い状況だったと思う。


◆脳幹出血◆ (以下引用)

脳幹は簡単に言うと「生命を維持するのに必要な脳の一部」です。
具体的には、中脳・橋・延髄という部分にわかれています。
呼吸や体温、心臓の働きを制御する中枢があり、「生命維持中枢」と思っていただければ
よいと思います。
脳幹は脳の一部ですので、「脳幹出血」というのは「脳出血」という、脳の中の血管が破れて出血が起こる病気の一種ということになります。

その脳出血の中でも、最も重症な症状が出現するのがこの「脳幹出血」。
脳幹部というのは、上記したように呼吸をつかさどるところでもあるため
一気に大量出血が起こると呼吸が止まって発作後数分で死に至ってしまう場合も
あります。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 |

4/15(Sat) 母の入院

父が入院してから1週間。
この日も、父の病院へ行くため母を迎えに実家へ行く予定だった。

6:30am頃、母から電話がかかって来た。
「あなたが帰った後、家で転んでしまった。昨日は歩けたけど今は歩けない。」と言う。

「あなたが来るまで様子をみてみる」と言って電話を切ったのだが、
その後、しばらくたって、今度は母のかかりつけの病院から電話がかかってきた。

「お母さんが右大腿骨を骨折して救急車で運ばれ入院する事になりました、決して
急がないでいいですから、気をつけて来てください。」

脊髄小脳変性症を発症した際、一番気をつけなくてはならないのが転倒による骨折
だという事は知っていたが、それが現実になるとは想像もしていなかった。

冷静さを欠いていた私に、夫がとにかく冷静になるようにと言ってくれた。

父の病院へ電話をし、母が入院する事になったので今日は父の所へ行けない旨を
伝えて、もし様態に変化があれば電話をもらえるようお願いをした。

「お父さんの事は大丈夫ですから。娘さん、無理しないでくださいね。」

胸に沁みる言葉だった。。。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 |

2つの病院と実家と仕事

父と母は別々の病院への入院となった為、お見舞いや洗濯等をしに2ヶ所の病院へ
行かなくてはならなかった。

実家には19歳♀の老猫もいて、その世話にも帰っていたので合計3ヶ所となった。

会社には出ていたが、これからも迷惑をかける事が多くなるので辞めようと思っている
と相談をすると、上司から
「早退や欠勤があっても皆でフォローするから続けてみたら?」という意外な提案を頂いた。

本当にありがたい言葉だった。
今だけは甘えさせてもらおうと思った。

「大変じゃない?」といってくれる人も多かったけれど、病院へ通うだけの毎日では
先が見えず、不安ばかりで気持ちが滅入るばかりだった。

友人と逢う時間も気持ちの余裕も無く、鬱々とした毎日を過ごしていたこの頃は、
会社へ来て仕事をするという事が本当に息抜きとなっていた・・・
(言葉が悪くてすみません)

両親の介護をした事がある上司が、自分の経験上から私にこのような対応をしてくれたと、
後になって知った。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 | 両親

ありがとう

「ありがとう」

突然の出来事に戸惑うばかりの中で、夫の存在は本当に本当に大きかった。

ほぼ毎日、仕事帰りに病院か実家へ寄ってから深夜に帰宅する日々・・・・。

病院へ通うという行為は、想像以上に気力・体力を消耗するものだったので、
肉体的にも精神的にもクタクタだった。

そんな中、夫も忙しいのにも関わらず、
食事を作って待っていてくれたり、家事を手伝ってくれたり、食事に連れ出してくれたり
辛抱強く話を聞いてくれたり。。。。

いつも私の心を支えてくれた。

「お前のケアは俺がするから、だから両親の面倒をしっかりみてあげなさい」

1人じゃないんだって思ったら、力が湧いてきた。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 | 思うこと

経験

私の友人で両親の介護に携わった経験がある人はほとんどいない。
友人の両親ですら、介護経験が無い人もいる。


私は1人っ子で、両親の親戚はかなり遠方にいる、これが現実。

この状況を理解し、どんな時にも力になってくれたのは、
母の病院のソーシャルワーカーさん、母の姉(叔母)、そして夫の母(義母)だった。

両親の心配はもちろん、私の心と体をとても心配してくれた。

どんな時に電話をかけても、いつでも親身になって話を聞いてくれた。

それは、私と同じような事を経験しているから。

経験があるから理解する事ができる、そう思った・・・・・・。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 | 思うこと

3つの介護

ソーシャルワーカーさんから次のような話をされた。

介護は大きく分けると「身体的介護」「精神的介護」「経済的介護」
3つの種類があるという。

身体的な介護はプロに任せる事ができるから、ご家族にしかできない介護
「精神的介護」をご両親にしてあげて下さい、と。

まだまだ、「親の介護は子供がするもの」という風潮があるけれど、このような状況で、
2人を介護するという事は現実問題として無理でしょう。

施設やサービスを利用すると世間は、非常識で心の冷たい人間であるかのようにあなたを
言うかもしれないけれど、決してそんな事はないし、自分に負い目を感じたりする事も全くないのですよ。

あなたの人生を大切にして、できる範囲の最大限をご両親にしてあげて下さい。


私をとても「前向きに」してくれた言葉だった。。
心の荷が軽くなった気がした。。。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 | つれづれ

5/15(Mon) 母の転院

骨折が治ったので、リハビリ病院へ転院となった。

車椅子生活が1ヶ月続いてしまったので、足の筋力も落ちてしまっていたが、
少しでも骨折前の状態に近くなるようリハビリをする為の転院である。
併せて脊髄小脳変性症も進行している為に、「作業療法」も取り入れてもらう。

近いうちに、この病院へ父も転院予定となっている。

母が父に逢うのは約1ヶ月ぶり。
病気の上に骨折までしてしまった母が、様態に変化のない父の姿を
目の当たりにしても大丈夫なのだろうか?と不安もあったが、
病院側でも病室等いろいろと配慮をしてくれるという話だったので、
母の精神状態をみて同部屋にするか別の部屋にするかは判断をしてもらえるよう
お願いをした。

この病院でも師長さんをはじめ皆さんが、温かい対応で迎えてくれた。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 |

5/22(Mon) 父の転院と気管切開

母の転院から1週間後のこの日、父が転院となった。

父はナースステーションが近い3階、母は4階の病室となった。

本当はGW明けに転院の話が出ていたのだが、「誤嚥性肺炎」を起こしてしまった為
様態が安定してからの転院となったのだ。

その間に、父は自力で痰をだすのがやはり困難である為に誤嚥性肺炎や
窒息などのリスクを少しでも減らす事を目的として、やむを得ず「気管切開」を行う事になった。

最初は喉に穴を開けるという事にとても抵抗を感じたが、鼻から入っているチューブを
抜こうとしたり、痰吸引時いつも顔を歪めている父を見ていた私は手術をお願いした。
しかも手術は病室で行い、時間も15分程度で終わると聞き父に負担があまり無いなら、
軽くなるならと同意した。

翌々日に手術は無事に行われた。
チューブが外された父の顔は何だかスッキリしていてリラックスしているようだった。
鼻には小さな潰瘍が出来ていたが、少しずつよくなっていくそうだ。

器官切開の手術の件を伯父(父の実兄)に報告すると、喉を切開するなんて・・・と
言われた。では24時間いったい誰が痰吸引をするのか? 誤嚥性肺炎のリスクが高く
なってもいいのか?? と怒鳴りたい気持ちを抑えて冷静に私の意見を伝えたら、
兄弟とはいえ近くにいる訳でもないし何もできないのだから・・・と納得をしてくれた。

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転院に伴う諸々の事すべて、病院側で手配等をして頂いた。
当たり前な事なのかもしれないけど、父が入院してから1ヶ月半、
わからない事ばかりな状態だった私に、病院の方はとても親切に対応をしてくれたと
感じている。
両親共の入院という、思いもよらない事態に立たされた私を気遣ってくれた事に
とても感謝している。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 |

介護保険

母の認定結果が届いた。

もちろん母はまだ65歳になってはいないが、特定疾患の場合は40歳から介護保険が
適用となる。

母は「要介護1」だった。

介護保険には[要支援1~2]と[要介護1~5]がある。
要介護に認定されると、ケアマネージャーを探して今後どのようなサービスをどのような
頻度で利用するかというプランをたててもらうのだが、このケアマネージャー選びは
本人もしくは家族が行う事になっている。

選ぶときに重要なのは、お互いの相性だというが、1,2回でその人となりを見極めるのは
大変難しいと思うが・・・・。

事業所名・住所・電話番号のみが書かれた一覧表を渡されたので、
とりあえず実家に近い場所にある事業所を選んで電話をかけ、
こちらの事情を話してお願いをしてみたが
老人介護を主としている所が多く、母の病気についての知識が無い方達も大勢いた。

その作業を繰り返しているうちに、元国立病院の看護師だというケアマネージャーに
たどり着いた。
なかなかはっきりと物をいう方だったが、お願いしてみる事にした。
話しぶりも自信に満ちていたし、きっとなかなかの手腕の持ち主なんだろう。

しばらくお願いしてみて、相性が合わなければ、変更も可能との事なので様子をみて
みる事にしよう。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:48 |

4/8(Sat) 母への報告と母の病気

途中で母の晩御飯と翌日の朝食を買って帰った。
実家へ着くと母が不安そうに待っていた。

母は、父が自分で電話して救急車を呼び、身支度を整えて出かけていった姿を
みているので、大したことは無いと思っている様子だったのでまず、「入院になった」
と言う事を伝えた。
それから脳から出血を起こしていて、いわゆる"脳卒中"である事も伝えた。

ただ、私が"大丈夫だと思う"と自分の希望的な意見を言ってしまったので、
どうしよう、母を安心させてしまったかもしれない・・・と感じた。


母は2年半前位に「脊髄小脳変性症」である事がわかった。

その1、2年前位から歩行時のふらつきや眩暈の様な感じがあったのだが
以前に耳の大きな手術をしていた為、三半規管の異常だと両親も私も考えていたのだが、
旅行の帰りに両手に荷物を持って歩こうとした母が、バランスが取れなくなったのを機に
病院で検査を受けてこの病名が判明した。

脊髄小脳変性症とは、原因不明の進行性の難病で小脳と脊髄がしだいに
萎縮していってしまうという病気である。
母の場合は進行が極めてゆっくりのようではあるが、
失調性歩行・体幹の不安定性・上肢のふるえ・ゆっくりとした不明瞭な話し方
といった症状が徐々にではあるが現れている。

既に定年退職をしていた父が母の介助をしながらの生活となったが、
外出時の支えと食事の用意以外は自分でする事ができたので、思い通りに体が
動かせない事を除けば、以前とそう変わらない毎日を過ごしていた。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:45 |

4/8(Sat) 父の入院

天気のよい休日だった。
自宅マンションのエレベーターを降り、夫と外出しようとしていたまさにその時、
実家の母からの電話が鳴った。
「お父さんが救急車で運ばれたからすぐに病院へ行って!」と言うのだが、
どこの病院へ行ったのかわからないと言う。

自宅へ戻り、実家近くの消防署に電話をかけ父を搬送した病院を調べてもらいようやく病院が判明。
病院へ電話をするとコンプライアンスもあるので電話では詳しい事は話せないが、
入院になるので急いで病院へ来るように言われた。

夫と病院へかけつけると救急の待合室へ案内された。しばらく待っていると、看護師から
大きなビニール袋に入った父の持ち物を渡される。一緒に中身を確認したのだが
その時点ではあまり大きな不安はなかった。

母からの電話では、
[手が痺れるし体が何だか変だからと、父が自分で119番へ電話をして救急車に
乗っていった]
と聞いていたから、そんな大事では無いだろうと思っていたからだ。

それから脳外科病棟へ案内され、入院時の説明を受けたり書類を書いていると
父が集中治療室へ運ばれて行くのがみえた。
顔が赤くて意識は混濁しているようだったが、手や頭をしきりに動かしていた。

その後、夫と2人で医師からの説明を受けた。
「脳幹出血」とのことだった。
CTをみると確かに脳の中央部分が黒くなっていた。
脳幹からの出血の場合には手術ができない為に、このまま出血が広がり脳浮腫が
広範囲にわたると生命の危機につながるという。
(脳圧と血圧を下げる点滴や出血をおさえる薬のみでの治療しかできないのだという。)
48時間は危険な状態だから、すぐに親戚を呼ぶように言われた。

・・・・あまりに突然すぎて、本当の事だとはとても思えなかった。
3日前に父と電話で話しもしていた。

集中治療室へ行って父と逢うことができた。
たくさんのチューブにつながれていて、とても苦しそうな姿だった。
目の前の父の姿が受け入れられなかった。
涙がとまらなかった。

病院を出て、実家へ向かう。
タクシーの中で、母へどう説明しようかずっと考えていた。
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# by aaaya123 | 2006-06-01 23:44 |



脊髄小脳変性症の母を持つ40代1人娘の記録デス。 時系列になっていますので古い内容からご覧下さい。
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